時代 | 西暦 | 元号 | 出石の主な出来事 |
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古代 | 180 | この頃天日槍が渡来する | |
400 | この頃古墳が築造される | ||
700 | この頃小野に役所が作られる | ||
平安 | 800 | この頃袴狭周辺で人形を用いた祭祀が行われる | |
鎌倉 | 1179 | 治承3 | 袴狭薬師如来坐像を造立 |
1221 | 承久3 | 太田昌明、但馬守護職となる | |
室町 | 1372 | 文中元 | この頃此隅山城築城 |
1392 | 明徳3 | 山名時熈但馬の守護となる | |
1467 | 応仁元 | 山名宗全(持豊)応仁の乱起こす(1477終わる) | |
1535 | 天文4 | 山名祐豊、総持寺に木造 千手観音菩薩立像寄進 |
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1569 | 永禄12 | 織田信長(豊臣秀吉)軍による但馬侵攻 此隅山城落城 | |
安土 ・ 桃山 |
1574 | 天正2 | 有子山城築城 |
1577 | 天正5 | 織田信長(豊臣秀吉)軍第1回但馬侵攻 | |
1580 | 天正8 | 織田信長(豊臣秀吉)軍第2回但馬侵攻 有子山城落城 但馬守護山名氏滅亡 |
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1585 | 天正13 | 前野長康、有子城主となる | |
1591 | 天正19 | 豊臣秀吉の命で朝鮮出兵 | |
1595 | 文禄4 | 小出吉政、有子山城主となる | |
江戸 | 1604 | 慶長9 | 小出吉政、有子山城の麓に出石城を築く 要所に寺院を配置、現在の町並みを形成 |
1607 | 慶長12 | 沢庵和尚大徳寺の首座となる(2年後出世) | |
1616 | 元和2 | 沢庵和尚の勧めにより吉英、宗鏡寺を再興 | |
1697 | 元禄10 | 松平忠徳が城主になる | |
1702 | 元禄15 | 対面所を建てる | |
1706 | 宝永3 | 信州上田城主仙石氏と出石城松平氏、国替え | |
1744 | 延享元 | 出石大火 | |
1775 | 安永4 | 仙石政辰、学問所(弘道館)を開く | |
1782 | 天明2 | 仙石久行、学問所を新築、弘道館の額を掲げる | |
1784 | 天明4 | 出石焼のはじまり、桜尾で土窯を焼く | |
1801 | 享和元 | 谷山で陶石鉱を発見、磁器出石焼がはじまる | |
1814 | 文化11 | 伊能忠敬、出石の測量を行う | |
1835 | 天保6 | 仙石騒動起こる(石高三万石に減知) | |
明治 | 1864 | 元治元 | 桂小五郎、出石へ潜伏 |
1868 | 明治元 | 出石城取り壊し 廃藩置県 | |
1871 | 明治4 | 出石藩から出石県、さらに同年豊岡県となる | |
1876 | 明治9 | 出石大火により町大半を消失 | |
1878 | 明治11 | 桜井勉、内務省の地理局長になる。 測候所をつくり天気予報の創始につとめる | |
1881 | 明治14 | 加藤弘之、初代東京大学総理となる | |
1885 | 明治18 | 木村熊二、明治女学校を開校 木村熊二・巌本善治「女学雑誌」創刊 |
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1894 | 明治27 | コウノトリが桜尾鶴山に営巣 | |
大正 | 1913 | 大正2 | 電灯がつきはじめる |
昭和 | 1928 | 昭和3 | 辰鼓楼の大修理 |
1929 | 昭和4 | 出石鉄道、出石・江原間走行 | |
1936 | 昭和11 | 斎藤隆夫、粛軍演説をおこなう | |
1945 | 昭和20 | 出石鉄道を取り除く | |
1957 | 昭和32 | 町村合併、出石・室埴・小坂・神美一部 | |
1968 | 昭和43 | 出石城隅櫓復元 | |
1979 | 昭和54 | 長野県上田市と姉妹 都市調印 | |
平成 | 1991 | 平成3 | 大韓民国の慶州市と友好親善交流宣言 |
1994 | 平成6 | 出石城登城門復元 | |
2005 | 平成17 | 市町合併、豊岡市出石町となる |