復 活 年 表 | |||
昭和 | |||
5年 | 出石盆踊り大会最盛期 | 商工会も奨励し始め、出石になくてはならない祭りであった。 | |
6年 | 8月 | 野口雨情 出石へ立ち寄る | 由良氏、玉井氏の照会を得て、作詞を依頼。 |
11年 | 8月 | 野口雨情 出石へ来遊 | 出石小唄の完成。作曲は「和田風来」と記載されている。 当時宿泊した旅館・町の名士に直筆の掛け軸を進呈していた。 (現在2点確認) |
11年 | 8月 | 弘道校友会会報に 歌の紹介が記載される |
現存する出石小唄の記載としては最古のものであり 「出石民謡」の題名であった。 |
20年 | 代 | 小学生らに振り付け指導が おこなわれた |
現在でもかすかに踊りを覚えておられる世代が存在する。 |
30年 | 代 | 「こゆう」さん、芸奴として 出石随一の人気であった |
13番まで収録したカセットテープを残す。 お座敷の際収録された可能性あり。 |
40年 | 出石民謡保存会設立 | 初代会長は岩見明氏。二代目に由良寛氏。 現会長西野氏は七代目となる。 |
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43年 | 若柳吉汐氏による 振り付け指導 |
久方振りに踊りを広めようと、町の担当者から依頼を 受けたとのこと。 |
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53年 | 小杉真貴子「出石小唄」 レコード盤の発売 |
「出石小唄(旧入佐音頭)」 のB面としてビクターより ドーナツ盤が発売(1,200枚限定) |
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平成 | |||
23年 | 「こゆう」さん版カセット テープが見つかる |
川嶋氏から田中順一氏、そして渋谷氏へと渡る。復活の息吹。 | |
24年 | 8月 | 若柳吉汐氏より嶋田霞寿章氏 へ振り付け指導 |
嶋田氏は民謡保存会現会長奥でもあり現代の表現に尽力。 |
11月 | 永楽館歌舞伎お練りにて、 出石小唄踊り披露 |
歌舞伎役者の片岡愛之助らも見守る中、 70年ぶりの復活を見せる。 |
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11月 | 雨情直筆の掛け軸(6番)の 存在を確認 |
当時宿泊していた旅館から。 | |
11月1日 | 神戸新聞掲載されました | 出石小唄 復活させよう! | |
11月4日 | 神戸新聞掲載されました | 復活の踊り 華やぐまち | |
11月8日 | 読売新聞掲載されました | 出石小唄 復活の踊り | |
25年 | 2月 | 「復活!出石小唄」実行委員会 の設立 |
CD音源を制作し、踊り指導、盆踊り大会での復活を目標とする。 |
3月 | 雨情直筆の掛け軸(1番)の 存在を確認 |
2本目の掛け軸が発見され、全ての番が存在する可能性を見た。 | |
5月 | 雨情直筆の掛け軸(4番)の 存在を確認 |
3本目の掛け軸が発見された。 | |
5月16日 | 産経新聞に掲載されました | 復活 出石小唄 全戸配布へ | |
6月6日 | 平成録音会の実施 | 復活へ向けての平成録音会を出石永楽館にて実施 | |
6月8日 | 読売新聞に掲載されました | 出石小唄流れる町に | |
6月8日 | 日本海新聞に掲載されました | 出石小唄復活へPR | |
6月14日 | 神戸新聞に掲載されました | 出石小唄を復活 CD化 | |
6月17日 | 朝日新聞に掲載されました | 出石小唄 復活に熱気 | |
6月20日 | 毎日新聞に掲載されました | 野口雨情作 出石小唄 復活へCD収録 全戸配布も | |
6月27日 | 掛け軸情報入手 | 掛け軸13幅のうち2幅についての情報を入手 | |
7月6日 | 毎日新聞に掲載されました | 盆踊りまでに練習 | |
7月9日 | 読売新聞に掲載されました | 出石小唄 子どもに伝授 | |
7月9日 | 産経新聞に掲載されました | 園児らに出石小唄 踊り指導 | |
7月19日 | 神戸新聞に掲載されました | 出石小唄 普及へ着々 | |
8月4日 | 踊り方練習会開催 | 商工会前にて出石小唄の振付指導を実施 | |
8月14日15日 | 出石盆踊り大会の音頭として採用され、松坂音頭と共に盛大に開催された。 | ||
8月15日 | 神戸新聞に掲載されました | 70年前に野口雨情が作詞 出石小唄を初披露 | |
8月16日 | 読売新聞に掲載されました | 復活の出石小唄で昔の賑わいを | |